Museum1999

アンティークの館
エルテの美術館

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Museum1999

アンティークの館
エルテの美術館

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「ミュージアム1999」
この館は、額にもモチーフにも成る。
覗き込んだ世界は 日常と非日常が入り混じる。

 大正ロマンの粋を伝える、近代建築としての「Museum1999」。
 アールデコの魅力が随所に見られます。 また、アールデコの巨匠・エルテの作品の保有数が世界一を誇ります。
アンティークの建物であり美術館である当館の、非日常的な世界観を楽しんでいただけたら幸いです。 
 ※当館は2018年に渋谷区の有形文化財に登録されました。

大正浪漫の粋を伝える
有形文化財としての「Museum1999」

 明治時代の文明開化を経て、大正時代には西洋の影響を受けた新しい文化や主義、思想、風潮が生まれた。建築もその例外ではなく、西洋建築をそのまま真似るというスタイルから、日本らしさを取り入れた和洋折衷的なスタイルへと移行しつつ、多くの近代建築が建てられたのもまたこの時代である。しかし、不幸なことに東京に建てられた多くの近代建築や洋館は関東大震災、そして先の大戦で倒壊、焼失の憂き目にあった。ゆえに、都内に現存する洋館は災害や戦火をくぐり抜け生き残った、歴史的に見ても希少な建物であるといえるだろう。
 その価値が認められて本建造物は、2018年に有形文化財登録された。

有形文化財登録
登録番号第13-0411号

 現在「ミュージアム1999」という名のついたこの洋館は、もともと資産家であった千葉直五郎氏が息子と公爵令嬢の結婚祝いに贈った住居用邸宅である。息子・常五郎は鉄工所などを経営する事業家。また叔父である千葉松平氏は日本専売公社に煙草の利権を売り財をなし資産家となり、後年男爵になったほどの人物。この邸宅の主人となった常五郎は千葉家三代目の当主にあたる。
 デザインは、黒川仁三氏と竹中工務店と相談しながら進め、大正7年(1918年)に着工した。工事費は当時の金額で33万円。大卒の初任給が約50円だった時代のことである。工事期間、工事費ともに当時の住宅としては桁外れたものだった。
 建物は鉄筋コンクリート造で、地下階、屋根裏部屋付の地上2階建ての建物である。床と壁は鉄筋コンクリートであるが小屋組みは木造である。地下はボイラー等の機械室とプールがあり、1階は社長室とリビングルーム、ダイニングルームと厨房があり、2階は寝室と子供達の個室があった。そして屋根裏部屋は物置として使われていた。また来客の多い家だったので、後年、客が泊まれるように1階をレセプション、2階を和室とする別棟を建設した。家族構成は、常五郎夫妻と子供が4人であった。そしてここに全員が住んでいたわけではないが、10人の使用人がいた。そのため、規模の大きな住宅となった。しかし昭和26〜27年頃、常五郎氏はこの住宅を手放すことになった。
  時代は移り変わり、旧千葉邸は1981年会員制クラブ「The House of 1999」として創業にいたる。(のちに「Maison du Musée」と改名) 大正ロマンの粋である男爵邸は、アンティークな魅力をそのままに生かしたハウスレストランとして改装された。ここでは当時を偲ばせるモダンな様式美と、今では再現することすらも不可能となった職人たちの技や意匠が随所に見ることができる。ひとたび足を踏み入れれば建築に興味のある者もそうでない者も、大正建築が織り成す独特の壮美に圧倒され、歴史を刻んできた重厚な存在感とあまりの非日常感に打ち震えるであろう。
 「Museum1999」は、都心にありながら、自由と理想に満ちた大正時代の空気を肌に感じられる貴重な文化遺産なのだ。これに匹敵する建物は、白金の庭園美術館、旧朝香宮邸(昭和8年)しか現存しないと言われている。